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😀 EF5861が牽く「つばめ号」

1981年7月25日、岐阜県の大垣から関ケ原の間を、東海道本線の下り線しかない新垂井駅の方へ向けて疾走する、「EF5861」に牽かれた「つばめ号」です。


2007-1981=26

(生まれた年が1981なら若いんですか・・・逝っても惜しまれない歳になりましたねえ)
1981年ですから今(2007年)から26年前の昔話です。
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EF5861に牽かれたつばめ号

1981年、学校は夏休みの暑い7月25日。

岐阜県の大垣から関ケ原の間を、下り線しかない新垂井駅の方へ向けて疾走する、EF5861に牽かれたつばめ号です。

記憶喪失気味の脳味噌ですから、いくら思い出そうとしても出てきませんが、東京~大阪(?)間を1日に1往復。2日間運転されたのではなかったかなと思います。(詳しいかたは記録を見て確かめて下さい。)

この頃は岐阜県の工場へ転勤していましたし、大垣と関ケ原の間の垂井駅の近くに住んでいましたので、下りのつばめ号は新垂井駅から大垣寄りで、上りのつばめ号は社宅の裏から撮りました。

そういえば、下り線しかない新垂井駅は無くなりましたよね。
新垂井駅のあった下り専用線が東海道本線であり、垂井駅から関ケ原駅までの下り線は垂井線でしたよね。

1962年頃だったと思いますが、岐阜県の垂井に工場が出来て間もない時に、出張で垂井に行ったことがあります。あの頃ですし、盆休みの頃でしたので岩国から米原まで急行の乗り継ぎ。

その時に言われたことは、「垂井の町は、上りと下りの駅が異なるし、垂井駅に停車しない列車があるので乗り間違えないこと。」

聞いた時はピンときませんでしたが、出張で何度か行き、転勤で垂井に住んでみて、よく解りました。

坂を上る、下りのつばめ号下りが上ります!・・・解りますか?)

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この頃はペンタックスSPと70-210mmのレンズを使っていましたが、写真屋でデータ化してもらえば綺麗な写真になるでしょうね。

坂を下る、上りのつばめ号

関ケ原から下り坂のためアッと言う間に通過。従って、写真は1枚しかありません。

(こちらは上りが下りですよ!・・・解りますか?)

隣の線路が、上り坂の垂井線です。
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垂井にお住まいの皆さん、今も垂井線は残っているのですか?

垂井~関ケ原間は上下線とも東海道本線になり、昔あった新垂井駅のほうの線路のほうが名前が変わったのでしょうか?

2006年10月の航空自衛隊岐阜基地航空祭へ行った時、関ケ原で下車し、関ケ原から岐阜まで車で連行され、垂井は南宮大社しか行くことが出来ませんでした。