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😀 鉄道博物館(3/5) 客車、貨車、超懐かしい物、ミニ新幹線、ミニ運転列車

2014年も毎年の恒例行事となった正月の初詣旅行を楽しんできました。

今年は、海ほたる鴨川シーワールド鉄道博物館を回り、最後に師岡熊野神社初詣をしてきました。

ここでは、埼玉県さいたま市の鉄道博物館(3/5) 客車、貨車、超懐かしい物、ミニ新幹線「はやぶさ」、ミニ運転列車を紹介します。

なお、このページ内に記載した形式番号は間違っているかもしれません。若い時は鉄道については詳しかったのですが、後期高齢者の仲間入りが間近になり、脳味噌が腐敗気味のため、思い出せないものがあります。

客車

会社の現役の頃は、東京方面への出張が多く、我々民間企業では、出張の費用の節約と、時間のロスの削減のために、新幹線が開通してからも夜行の寝台列車を利用していました。

ブルートレインあさかぜはやぶさ富士さくらみずほなどを利用。

岩国を夕方から夜に出発して、東京には朝到着。夕方まで仕事をして、夕方東京を出発して、岩国へは朝到着。そのまま会社へ出勤して仕事といったのが普通でした。

今時こんなことを強いたら問題になるのではないかと思いますが、あの頃は当然のことだったですね。

2人で出張した時などは、ブルートレインの3段ベッドの一番上の向かい合わせを確保して、寝るまでは、酒を呑みながら過ごしていました。

夜中には毛布が下へ落ちて、取りに降りたことも。

一番の傑作は、夜中に何か腹を締め付けられて苦しいなと目が覚めたら、私の体は、人の落ち止めのベルトに引っ掛かって、「く」の字になっていました。あの時は一番下の段でしたから、床に落ちて怪我をすることはありませんでした。


そういえばもう一つ思い出しました。

岩国から東京へ向かう時、服を脱いで早目にベッドで寝ていたのですが、次の駅に到着したら、誰かが体を揺するではありませんか。

何かと思ったら、私が寝ているのは次の駅で乗ってきた方の席。

改めて指定券を確認したら、私が間違って、1両隣に乗っていました。


さらにもう一つ。昔のことを思い出しました。

岐阜県の工場に勤務していた頃ですが、昭和56年の56豪雪の時でした。

仕事で新潟へ行くことになり、京都発の夜行寝台列車に乗るために京都へ行きましたが、大雪のために列車は運休とのこと。これは出張どころの話ではないので、家に引き返そうと思ったのですが、夜も遅いので普通列車は無し。

どのようにして帰ろうかと京都駅のホームで思案していたら、夜行の寝台急行「銀河」が到着しました。(「銀河」は、大阪~東京間でしたよね。)

なんとか米原までは帰り着きたいので、「銀河」の車掌さんへ運休などの事情を話したら、「この列車に乗りなさい。但し席がないのでデッキに立って下さい。米原は時刻表には書かれていない業務停車だから、乗降用のドアを開くことが出来ないので、乗務員用のドアから自分で降りて下さい。」とのことで、京都から米原まで送り届けてもらいました。

もちろん車掌さんの計らいで運賃は無料。

この車掌さんの計らいには感謝感激。

しかし、誠に残念なのは、米原から東方面へは大雪のため、タクシーに断られて、米原駅の吹き曝しの待合室のダルマストーブで暖を取りながら一番の上り列車を待ちました。

昔のことを思い出しながら書くと止まらなくなりますので、ここで打ち切ります。


マイテ39
我が家のNゲージの車両を確認したら、マイテ49がありました。
鉄道模型 Nゲージ(7) 客車をご覧下さい。


20系 あさかぜ


3段ベッドですね。

上段は固定式です。

会社の現役の頃の東京への出張の時は、宿泊費などの経費節減のために、往復ともに「あさかぜ」、「はやぶさ」などのブルートレインを利用していました。

2人で出張の時は、上段を取って、差し向かいで酒を呑みながら、東京から帰ってきていました。

貨車

高速道路が少ない頃は、長い貨物列車が何本も走っていましたよね。

電気機関車も四角いマッチ箱形から脱却したEF66形が現れ、洗練されたスタイルになったなあと感心しましたね。

今でもコンテナを積んだ列車を見掛けますが、編成が短くなりました。


昔は、下関から東京、汐留でしたか?

とびうお号」という貨物列車があったような気がしますか・・・

冷蔵車が踏切を通過した後、踏切を横断する時、魚の腐ったような臭いがしていました。

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